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近所付き合い |
マンションでも戸建でも、隣から生活の匂いのする音や声が聞こえるのは、悪くない、と思っている。
朝「行ってらっしゃい」とご主人を見送る奥さんの声。 子供がランドセルをかちゃかちゃ鳴らしながら「行ってきま〜す!」と元気よく玄関から飛び出していく・・・ ゴミを出していたら、背中から「お早うございます」と声がかかる。 夕刊を取りに玄関に出ると「暖かくなりましたね」と、挨拶代わりのひと声。
お互いに深く踏み込むでもなく、さりげなく簡単な言葉を交わすだけの、さわやかな空気のような付き合いが好きだ。
もうずっと以前のことだけど、庭いじりをしていたら煮物の焦げる臭いがしてきた。 てっきり我が家の台所からだと思って、カミサンに大声で、 「お〜い、何か焦げてるぞ」 と言ったら、反対側の家から 「すみませ〜ん!うちのです」 と、恐縮した声が返ってきた。
一瞬「しまった!」と思ったけど、後の祭り・・・
お隣の奥さん、さぞびっくりしたろうなあと思って、思わず「ぶぶっ」と噴き出してしまった でも、こんなのどかな人が近所にいるのはいいことだ・・・ 何となく幸せな気持ちになったものだ。
お隣とはお互い口も聞いたこともない、という話をよく聞く。 かと思えば、台所に土足で踏み込まれるような“濃密な”近所付き合いで疲れ果てた、というのも聞いたことがある。
どんな近所付き合いがいいのか。 それぞれの考え方や好みがあるから、どれが良いかという問題ではないが・・・
皆さんはどうだろう。
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心の森林浴 |
知らない言葉に出会うと「グーグル」でよく検索する。 「読書の森」って言葉があるだろうかと検索したら、西日本新聞社の「読書の森」がヒットした。 「心の森林浴をしたくなったら、ゆっくり歩いてみませんか」と、うたった読書案内のページ。
「心の森林浴」かあ、しゃれたコピーだなあ。
この欄にも、読書や本の話題を時々取り上げる。 読書家というには程遠く、第一読むスピードが遅いから、読む量は知れている。 一人の作家に偏る、偏食ならぬ“偏読”でもある。 最近は目が疲れるから、特に読む量が減ってきた。 酷い時には10ページも読むと、頭に入らなくなり本を閉じて寝てしまう。
そんなグータラ読書スタイルだから、知らない作家の本を手にすることはほとんどない。
ある程度名前の知られた人のでないと、安心できないのだ。
最近、あさのあつこさんの世界に嵌まったのは、友人の勧めがあったから。 今では次はどの作品にしようか、と楽しみにするほどのファンになった。
今読み始めたのは葉室麟(はむろ・りん)さんの「オランダ宿の娘」(ハヤカワ文庫)という時代小説。 葉室麟さん・・・直木賞作家らしいが、名前も聞いたことがなく、これも読書家の友人から借りた文庫本。
帯封には、 「人と人、心と心を繋ぎゆく誇り高き花にならん。江戸後期、日蘭交流に身を尽くした姉妹の物語」 と紹介されている。 読み始めたばかりだからまだ印象は分からないが、未知の読書の森に踏み入る楽しさには、変わらない。
今日は「図書館記念日」。 1950年、図書館法が制定されたのを記念して作られた。 図書館は、近くにないこともあって利用していない。 もったいない気もするが「心の森林浴」は、図書館がなくてもできる。
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約束を守れない人、 |
子供の頃、親父は商売をしていた。 山に植わっている杉や檜を買い取り、それを伐採して売りに出す。 山林業兼材木商として、百姓の大家族を支えていた。 その親父が口癖のように言っていたのは、 「約束を守れないような人間には絶対になるな」 だった。
何度も不渡り手形を掴まされ、売った材木の代金を踏み倒され、税金が払えずに差し押さえも2回ほど食らった。 強制執行人がタンスや戸棚にベタベタ封印していくのを見て、子供ながら「なにか大変なことが起こったらしい」と恐怖を感じたものだ。
それでも親父は、くたばらずに商売を続けていた。 正直一本で通し、やがて信用を得て商売が軌道に乗り、木の国紀州ではちょっと名の知れた山林・材木商になった。 兄弟姉妹7人、母、祖母の9人の大家族はホッとした。
約束を守る事の大切さを身をもって示した親父は、63歳で他界した。
約束を守ることは、社会生活での最も基本的なルールだと信じている。 約束が簡単に破られるようなら、社会は崩壊する。
プロ野球の読売ジャイアンツは、その約束を守っていなかった。 プロ野球12球団トップは、新人採用の契約金の高騰を防ぐため、最高標準額は1億円プラス出来高払い5000万円、つまり総額1億5千万円と申し合わせをしている。 ジャイアンツはそれを破っていたという。 球団側の言い分は「最高標準額は揺やかな目安だから、ルール違反ではない」と言い訳しているそうだが、これは詭弁である。 12球団トップが決めた申し合わせとは、誰が見ても明白な約束だ。 “緩やか”もへったくれもない。
この球団は、違反すれすれの“横紙破り”のようなことを時々する。 球界の盟主を自認する余りの、傲慢さ、甘えとしか思えない。 今回の問題は、ライバル紙がすっぱ抜いて明らかになったものらしいが、先のトップの見苦しい造反騒ぎといい、この球団にはまだ他にどす黒いヘドロが淀んでいるんじゃないか?
今度の問題から、限りなく黒に近い灰色球団、そんなイメージがますます濃くなってきた。
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しっかりしろよ。兵庫県、神戸市 |
新聞によると、北九州市議会が福島のガレキ受け入れ決議を全会一致で可決、市長に決断を迫ったという。 議会の責任を果たした、意義のある立派な決議だ。
住民の反対があるからとか言って、一向に腰をあげようとな市当局にシビレを切らしたのだろう。 それでこそ市民の付託を受けた議員の進むべき道だと思う。
それにつけても・・・ 兵庫県や神戸市以下、県内の自治体や議会は何をしているのだろう。 どこも「ガレキ受け入れます」と声をあげていない。 真っ先に手を上げるべきは、全国の支援で阪神大震災から復興を遂げた兵庫県や神戸市などではないか。 東京でも、北九州でもないはずだ。
放射能汚染の心配があるから、 住民が反対しているから、 国の方針が曖昧だから・・・という。 たしかに、綺麗なガレキじゃないだろう。 でも現地で厳重にチェックして、これなら大丈夫というものしか搬出しない、と言っているではないか。 国の方針が曖昧なら、もっと国の尻を叩けよ。
もし住民が反対しているなら、県や市や議会が先頭に立って「福島のガレキを撤去しなければ復興に重大な支障がきたす」ことを、全力をあげて説明し説得すべきだ。 しっかりしろよ、兵庫県、神戸市!
原発反対運動の人たちにも言いたい。 確かに今度の事故で、原発の危うさが露呈、安全神話が根底から崩れた、 原発に頼らないネルギー確保を目指すべきだろう。
でも反対運動に、大事な視点が欠けているように思う。 福島に放置されている、膨大なガレキのことだ。
原発反対運動の中で、福島のガレキをみんなで引き受けるよう、とどうして訴えないのか。 原発事故で苦しんでいる福島の人たちの足元を、どうして見ようとしないのだろう。
電力会社に抗議デモも結構だけど、全国の自治体にガレキ受け入れを求めて、抗議デモをしてはどうか。
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せんち、雪隠、ギジを撃つ |
ちょっと臭い話を・・・
先日、と言ってもかなり前だけど、友人の日記にトイレのことがあったので、そのコメントで便所のことを「せんち」とも言うと書いたことがあります。
私が生まれた紀州の北部地方では、今でもこの言葉が生きています。 まだ現存している私の実家では、今でも玄関を出て歩いて10メートルほどの所の別棟に「せんち」があります。 子供の頃は怖い思いをして暗い庭を横切って行ったものですが、用を済ませて母屋に戻る途中に見上げた満天の星空が綺麗だったなあ。
ふとネットで見た「出雲言葉」を検索したら、せんち=大便所とありました。 紀州だけでなく、遠く出雲地方でも使われていたんですねえ。
それはさておき「せんち」は「雪隠(せっちん)」が訛ったもの、と言うのが一般的ですが、逆に「雪隠」は「せんち」が訛ったものという説もあるようです。
その「雪隠」はどこから・・・ こんなことを詮索しだすと切りがありませんが、「雪隠」は中国から来たらしい。 昔、 雪竇禅師(せっちょうぜんし)という中国浙江省のお坊さんが、雪竇山霊隠寺で便所の掃除をつかさどったという故事からきたというのが、有力な説となっています。 紀州の山奥の田舎言葉とばかりと思っていた「せんち」のルーツは、意外にも中国にあるのかも。
今では雪隠とか厠は死語になっており、便所という言葉もあまり大きな声で話されなくなったようで、「お手洗い」とか「化粧室」と表記されているのがほとんどですね。 たまに「W.C」とか「トイレ」というのもありますが・・・
ところで登山などの途中に我慢できなくなって岩陰などで用を足す時、男の場合は「キジ(雉)を撃ちに行く」、女性の場合は「お花摘みに・・・」という隠語を使うと、最近友人から教わりました。 適切(男性の場合)かつ優雅(女性の場合)な替え言葉ですねえ。
「お手洗い」もそうですが、こんな日本語独特の言い換え、外国にもあるのでしょうか。
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